Fre00030 テレポーテーションの謎

#0000 reader   8808031210

    例の「幽霊化」事件以降、もしかしてウルトラ久保田氏は随分と実存的な
不安に陥っているのではありますまいか。今度はなんと「物質転送」ですか!
にゃにぃにゅにぇにょにょにょ?
   で、この一件に関する私なりの考えを思いつくままに・・・。
    例えば、これがハエんぼさんだった場合、物質転送機にかけられて自分?
が何匹になってしまおうと、まぁー、ほとんど気にしないのではないでしょう
か?なぜなら彼らは自己の存在根拠を外部に頼っていないから。彼らの生命シ
ステム自体の持つ「内的なイメージ」を存在の根拠としているからです。
    つまり、我々の内臓や免疫系のように「自己参照系」になっているという
ことなのですが・・・。
  実際には、人間だって意識下のレベルでは同様だと思うのですね。「私は
私だ!」という自同律の気楽にドップリと浸っている世界がやっぱりあるので
はないか。そのあたりで「僕って何?」なんて実存的な問いに悩やまれちゃう
と、おそらく生物としての生存自体が危うくなってしまうと思うのです。
    そして。もし、物質転送を行った際も、その人の有機的な構成さえ再現さ
れれば、何人出現しようとこのレベルまでは悩まないのではないかと・・・。
  問題はこの基盤の上にあぐらをかいて、跳んだりハネたり転んだりしてい
るいわゆる「わたし」という自意識の部分なんですな。おそらく・・・。
    そして、この自意識ってのは自らの外部に置かれた物や記号の配置によっ
てそのループが成り立つ疑似的な自己参照系なんではありますまいか?
 
   つまり、物質転送で二人になっちゃったということから生じる問題の本質
は、あくまでも記号論的なものなのであり、社会的な「自己存在証明」も結局
はこの記号に頼っている・・・、てーことは、その社会を取り込んでいる個人
の自己確認も同様ということになる。
    そして、だとすると、二人に分身してしまうと困るのは記号的な「差異」
が生じなくなるということにあるわけですが、なぜ、それが困るのかは科学と
いうより、ほとんど文化人類学や社会学、経済学の問題となってしまう。
          (まぁー、人文科学の分野ということではありますが・・・。)
    いずれにしろ転送後に二人になったって、その二人がバラバラに別の社会
に分れて出現してしまうならば何も問題は起こらない。それぞれに転送以前と
の自我同一感を維持してもいるだろう。
    そして、「私」なんて結局思い出みたいなもんなんだから、ウルトラ久保
田氏のように未来に二人になった時の「自我同一性」を現在から想定しても意
味がないのではありますまいか・・・、とまぁ、かように考える次第です。
        一瞬、一瞬、思い出となってゆく地球と宇宙に想いをはせる
                     すでに思い出のTOTOでした。
 

#0001 ultra    8808032021

 最初の3行を読んで、「この文体は・・・」と思ったら、やっぱりTOT
Oさんでしたか・・。残念ながら相変わらず、うーーーん、何を言っている
のか、もうひとつ私には理解出来ない。
 ただ、僕の問題の立て方が悪かったのかなあ、やっぱり、TOTOさんの
答えが、自我を外から観測して、というか、TOTOさんがいつも使う得意
のレトリックのパターンに答と問題をあてはめてる気がするな。
 「二人に分裂して困るという、記号な差異」とか「何人出現しても悩まな
いのでは」、という悩む、悩まないとか、困るとかの問題でなくて、これ
は、いわば、どうしても想像出来ない、といった、私にゃどう頑張っても、
想像が出来ませんだよーーという問題なのですが・・・・・。
 例えば、あのデカルトの「我思うゆえに我あり」と、まったく同じことで
すよ。デカルトが、こんなことを思いついたのは、彼に実存的危機があった
からだ、などと個人攻撃するのは、彼の提出した問題の答えとしては、明ら
かに的外れでしょ。
 
 この世界や自分の身体までは存在しない「幻想」と疑えても、自分が(こ
れを自我と呼ばなくてもいいですが)何か考えてるものがいるという、この
感覚自体はやはり、絶対に疑えないと思うのですが・・・(もし、疑えても
、その疑ってる何かが「存在」することは論理的に疑えないでしょう)
 まあ、ブッタ並に「我はない」なんて答えも良いけど、そんなの本当に実
感できるのですか?TOTOさんなら悟ってるから、できるかもしれないけ
ど、僕には、理論的には同意出来ても、「自我意識がない」なんて実感はで
きないなあ。少なくても。
 これと同じで、自我意識って二つに割ることの想像が出来ないのですよ。
実感としてね。TOTOさんできます?(2カ所に同時に転送とは、自我を
割ることに対応します。この逆に、他人の意識と融合することの想像は、や
さしい。これも、なぜかな)
 無理に二人に割っても、ゲシュタルト心理学でよく出てくる、「花瓶と二
人の人の横顔の絵」みたいに、地と図よろしく、二人の間をイメージがいっ
たり、来たりしかできないなあ。僕は。
 ちょうど、量子力学で「量子」という概念は操作は出来るけど、波であり
、同時に粒である状態がどうしても具体的に想像出来ないのに、似てると
思っているウルトラ久保田であった。
 

#0002 reader   8808050054

  No、31の発言の冒頭三行は、当然のことながら冗談であり、もし、お
気に触られたようでしたら、お詫び申しあげます。
    さーてと、ったって困ちゃいましたなぁー。ワタシメが何を言おうとウル
トラ久保田氏は「相変らず分からない」とのことですし、さらに述べたところ
で「いつも使う得意のレトリックのパターンに問題を当てはめているだけ」と
いうことになりそうですし、ワタシほんと困ったのことよ。
    でも、あえて言わせてもらえば、「例えば・・・」という形で何事かを説
明しようとする際に、それぞれ独自のレトリックを用いて語ろうとするのは当
然のことなのではありませんか?
  そして、もし、それがいけないとなればこのコーナーにおける言語表現は
相当に苦しいことになるでしょうね。毎日、朝日新聞を見てどこまでのレトリ
ックが許されるのかお勉強しつつ書き込まねばならないと・・・。
  普通ですねぇー。例えば、ウルトラ久保田氏独特のレトリカルな表現が私
のレトリック体系と大きく異なっていて「分からない」場合、それが私が真剣
に問うている問題に関してなら、「あなた発言のこの部分はどういうことなの
ですか?」とか、「こういう意味だと理解してよろしいのですか?」という風
に問直すもんなんじゃないですか。でなけりゃ、議論なんて噛み合っていかん
でしょうが。
  そして、もしかして、私の発言が議論となっている問題から見て問題外で
的外れなものだということなら、その論拠を提示するなりしなければ、はっき
り言ってこちらも訂正のしようがないではありませんか。
  「この文体は・・・」から始まって「レトリックの・・・」あたりのウル
トラ久保田氏の非常に作為的なレトリックは、全然、悟ってなぞいない私の自
意識をおおいに活性化し得たことだけは申し上げておきましょう。
   
    ところで、私、前回の発言の中で「自意識なんてない」なんて言いました
かしら。「自意識は思い出みたいなもの」とは言いましたけれど。
    そして、前回に私の発言は、動植物を問わず、生命の本質的な存在様式と
も言える「私がある」とも思わないような「私」の在り方と、言葉や記号体系
などを用いて始めて形象化し得る「私」の在り方をとりあえず分けて考えてみ
たらどうかなということだったわけです。これ、まずかったかしらね。
  そして、もし、転送装置がラジオやテレビみたいに一台の送信機にいくつ
も受信機が付けられるような形式だったら、つまり、すべての受信機に全く同
等のものが送りこまれるなら「自我は分割したりしない」のであり、とりあえ
ずは同じ二つあるいはそれ以上の自我が誕生するだけなのではないですか。
    そして、それらの自我はそれぞれにひとつしかなかった頃の自我との持続
感を持っており、個々には何の問題もない。それは、朝いつものように目覚め
て、さぁーてとドアを開けたらそこにもう一人の自分が立っていたとしても、
そのもう一人をお互いに見いだすまでは、何の問題もないということですね。
    それは、外部から見た客観的言い方でしょうかねぇー。問題は、「これま
で」に由来する自我の持続感を「これから分れる」的な仮定でとらえる、それ
こそ外挿的な視点ではないのですか。
 
  {〔<我思う、ゆえに我あり>と思う我あり〕なんて思う我あり}
         なぁーんちゃってと思い苦笑する我あり、
        などとなるのは何故かしらと思う我ありのTOTOでした。
 

#0003 ultra    8808051846

 いやあ、見るからに不毛な「レトリック論争」が、始まってしまった。下
らないのでやめようと思ったのですが、これも最近書き込み不調のこのネッ
トのこと、彼岸の論争ほど、面白いものはないといいますので、暇の方、ど
うぞ論争の行方を楽しんで下さい。
 まず、言いたいのはレトリックがあるのは、何も悪くないということ。こ
のネットご常連の中には、多分最初の数行を読むだけで「ああ、またウルト
ラ久保田の書き込みか」などと、ゲンナリするひそかな楽しみを味わってい
る方も、少なくないのでは。(ここらの言い回しが、独特にエゲツナイと言
われてます)
 TOTOさんの言い回しも、見れば、あなた、すぐ分かりますよ。昨日、
今日の付き合いでもなしに(実は私達お友達なのよん)。まあ、僕じゃなく
ても、すぐ分かる。だって「自己参照系」とか「いわゆる「わたし」という
自意識の部分」とか「記号論的な差異」とかさ、こんな言葉使い、こりゃあ
、どう見ても、このネットのほかの人はしないよ。確実にトートーホーロー
バスですね!。さもなきゃ「現代思想」か「エピステーメー」か「GS」か「
遊」でしょうな。
 分かり易くするためにレトリックを使うということ自体は、いいんですよ
。新聞でもよくやっていることでして。ただ、これら、独特の「TOTOタ
ーム」で分析出来ると思っている世界に、なんでも話を押し込むことを「答
えと問題をあてはめてる」と言っただけです(だって、よく使うでしょ、こ
のタイプの普通の人によく分からない言葉。大体「差異」なんて特殊な単語
は、何の話しをしても出て来る!)。
 やっぱり、色々面白い視点の考えを、いつも出して私を刺激してくれてい
るのに、もう少し分かり易い言葉で説明してくれないのが、残念です。誰も
が分かる言葉でお話ししましょう(と愛の忠告する本人の、テレポートの問
いもかなり分かりにくかったみたいですが・・)。
 それから、前回の発言の中で「自意識はない」なんて(お宅が)言いまし
たと、言いましたかしら。TOTOさんにはできるかもしえないけど(これ
は、私の勝手な仮定です)、僕には実感ができない(これは、事実)、とい
うだけの話ですよ。書き方がまた良くなかったかな。
 TOTOさんのお答えは、具体的内容には、たいした反論はないけど、自
分の問いとずれているだけ(これは、私の出し方が悪かった)と思っている
ウルトラ久保田であった。
 

#0004 reader   8808071423

    わぁー、ご丁寧にも反論が返ってきちまったぁー。まぁ、天下の朝日サイ
エンス・ネット上でのこと。お互いあまりナァナァでお手を拝借のチョン!っ
てわけにはゆかなくなっちゃったかな。(トホホ、電話代がかさみそう。)
    まず、簡単なとこから。自意識ありなしの件については、やっぱりウルト
ラ久保田氏の言い方というか、論理の展開の仕方がまずいよ。だって、それま
でそんな論点がどこにもないのに、私の意見への応答として、しかも私めを引
合いに出して述べられれば、えっ?俺そんなこと言ったっけってなりますよ、
やっぱぁー。そうでないかしら?
    次は用語の問題。まず、問題となっている私の書き込みに関して言えば、
ウルトラ氏が指摘するような言葉をすべて省略しても大意はお分かりいただけ
るように書いたつもりです。やってみてください。それでもご理解いただけな
いようでしたら私の努力が足りなかったということですので、お叱りは慎んで
お受けしたいと思います。
    私は、ごく普通の会社員であり、学問とはほど遠い環境の中でひとりで勝
手に背伸びして学問(的・・・なんでしょうな、やっぱ)な世界に首を突っ込
んでいるせいもあって専門用語ってのには非常にコンプレックスを抱いており
ます。それは自分でも素直に認めますね。だから、カッコ付けてつい使っちゃ
う傾向も多分にあります。
    でも、そうした専門用語に人一倍悩まされてきた人間でもあるのです。だ
からつい使ってしまってもそれをフォローするというクセも付いているのです。
  ただし、完璧にフォローする必要はないとも考えています。まずもって私
は、このネットに参加されている方々を誰ひとり「一般的」という言葉でくく
る気はないし、私自身も「一般的」を代表する気は全くありませんから。
   ちょっと覗いただけの方々には大意を分かっていただければよいし、そこ
に問題意識を持っておられる方には、さらに突っ込まれても対応できる用意を
しておけばよいのではないかと・・・。
    さらに言えば、別に専門用語にひれ伏しはしませんが、専門用語の必要性
は少なからず認めています。そしてまた、新しい言葉は物事に対する新しいイ
メージを運んできてくれるということもあります。
    例えば、「身体」、「自意識」、「植物人間」といった言葉だけでは見え
てこない事柄が他の言葉からは見えてくるということがあるのではないかと。
    言葉にしろ数学にしろ、記号は対象そのものではない以上、その対象をさ
し示す指(記号)の数は多い方が、その対象の捉え方は豊かになり、捉え方に
奥行きも出てくる。(むろん、無闇にではありませんよ。)
    だもんで、「レトリックを用いても構わない」なんて問題ではなく、レト
リックの問題こそ人間の物事の認識や創造性を問う際に非常に重要なんではあ
るまいかと常々思ってまいりました。
    なぁーんて、改めて言うまでもない一般論で逃げるのはやめとして、「自
分のタームに問題を引き込んでいる」的指摘には、「かもしれない」とは思い
ますね。ただ、これは意識的に強引にやったわけではありませんよ。「そうい
う問題だ」と思っちゃったんですよ。
    もともと科学には弱い人間ですから、このネットの議題自体も用語も分か
らないことの方が多く、たいていの場合は手足も出ない。でも、私のカバーし
得るごく狭い範囲の分野に論議が引っ掛かってきて別の視点が提供できると思
ったら書き込もうと思ってるだけなのですね。
    だから、それが的外れであったなら、今回のごとく問題提起者がその旨を
指摘して下さればいいだけのことです。そうなる可能性は多分にありますから。
    ただ、今回のは問題の出し方がまずかったというより問題点が移動してき
てしまってはいませんか。ふたりに分れちゃうとか多重人格とかいった方向な
んかにですね。
   問題の出し方って答え方以上に難しかったりすることもあるから、一度で
うまく提起できないこともあると思う。その時は、他の方のレスポンスを見つ
つ絶えず原点へと軌道修正してほしい。でないと問題点が拡散してきてしまっ
て、まとまりがなくなり、私のような的外れのレスポンスが返ってきてしまう
可能性が大きくなるのではないでしょうか。
           たったひとりのための狭きユートピアで
                   いつもあなたの御用に待機する境界の神器TOTOでした。